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見てみたい世界を描いて――生き物たちと共に歩む泉区の画家・松本亮平さん

子どもの頃、ザリガニを釣り、カワセミの羽ばたきに胸を高鳴らせた少年は、やがて生命科学の道を志しました。しかし、実験室の窓のない空間でふと心に浮かんだのは、あの頃の自然の風景でした。生きものを愛し、命の姿を静かに、しかし確かな力強さで描き続ける画家・松本亮平さん。その作品には、争いのない世界、互いに助け合い、耳を傾け合う動物たちの姿があります。泉区で30年以上暮らす彼のアトリエを訪ね、生き物たちと向き合う、創作の原点を伺いました。

 

松本さんご本人の画像

窓辺から差し込む柔らかな光のような笑顔の松本亮平さん。小鳥のさえずりをBGMに、このアトリエで毎日10時間以上絵筆をとっています。幼稚園の頃に、背景に写る作品とそっくりな動物たちの世界を描いていたといいます

 

「好き」が導いた創作の道――泉区の自然と少年の記憶

 

「動物や虫など、生き物が好きだったんです。普通の子どもと同じように」

 

優しく語り始めた松本さんの言葉は、誰もが幼い頃に感じた自然への親しみを思い出させてくれます。小さな虫や川辺の生き物に目を輝かせ、図鑑で夢中になって調べた日々。

 

「ある日、川辺でカワセミの青い輝きを見た瞬間、胸が震えたんです」と松本さんは幼少期を振り返ります。「目の前にピューと飛んできて、それが本当にきれいで。こんな鳥がここにいるんだって驚いて、すぐに野鳥図鑑で調べました。あの光輝く美しさは今でも鮮明に覚えています」

 

カワセミの画像

凍てつく冬の阿久和川に佇むカワセミ。幼い頃に松本さんの心を捉えたその鮮やかなコバルトブルーは、まさに青い宝石のようです(写真:松本亮平さん)

 

当時、岡津中学校脇の川で釣りをしていた少年にとって、その宝石のような鳥との出会いは、身近な自然の奇跡に気づく体験でした。泉区は今も自然豊かな地ですが、平成の初期はザリガニ釣りやタヌキの往来も見られ、緑園都市のあたりは虫や鳥の多い森だったといいます。

 

松本さんの幼少期は、緑園都市周辺の開発が進む時期でもありました。失われていく自然を「絵に残したい」との思いから、毎日のように風景をスケッチしたといいます。この自然への愛惜が、後年「多様で豊かな世界」を描く原動力となりました。

 

泉区の風景のスケッチ

さまざまな泉区の風景をスケッチする中でも、遠くに望む富士山は特にお気に入りだと言います。春は霞み、夏は青空に映え、秋は紅葉に染まり、冬は雪化粧を纏う。四季の移ろいを肌で感じながら描くのが好きだそうです

 

やがてスケッチブックには、象の背にペンギンたちが乗るような、夢のような風景が広がっていきます。

 

「今描いている絵と子どもの頃の絵って似てるんですよ。この前、幼稚園の頃に鉛筆で描いた絵が出てきましたが、泳ぐ鯨の背中に、いろんな動物が乗っていたりして。この作品とあまりに似ていて自分でも驚きました」と笑います。

 

阿久和川の風景の画像

幼い頃から親しんできた阿久和川は、松本さんが好きな場所の一つです。澄んだ水の流れと、水中を泳ぐ魚の気配、そして鳥の鳴き声は、今も変わらず心を癒やしてくれます

 

理系の道からアートへ――“描くこと”の意味に出会った日々

 

生き物への関心から理系に進んだ松本さんは、大学でタンパク質やDNAを通して生命のしくみを探る構造生物学を学び、研究者を志していました。しかし、窓のない研究室で細胞を見続ける日々の中で、「自然に触れたい」という思いが募っていきます。その思いから、休日には泉区の風景をスケッチするようになりました。

 

「そこからですね、“作品”として、意識的に絵を描き始めたのは」と松本さん。転機となったのは、大学教授との出会いでした。教授が彼の絵を見て「仕事にしたらいい」と背中を押してくれたのです。そして、科学雑誌『実験医学』で1年間挿絵を担当し、「対価をもらって絵を描く」という初めての経験が、画家としての第一歩になりました。

 

松本さんの画材

アクリル絵の具、墨と硯、筆など、使用している画材の一部です。丁寧に使っている様子から、これらは単なる道具ではなく、松本さんの心の内を形に変えるかけがえのない創造のパートナーなのだと感じます

 

その後、電機メーカーに就職しながらも、休日には絵筆をとり、コンクールへの出品を重ねました。「タンパク質と動物」を同じ画面に描いた初期作品が生まれたのもこの頃です。

 

「やっぱり動物を描くのは楽しいんですよ。楽しいって、自分にとってとても大切なことです。だから最初は小さく描いていた動物がだんだん大きくなり、主役がタンパク質から動物に変わっていって、気がついたら“動物だらけになっていた”という感じです」と語ります。

 

木の板を切り出し、そこに動物の絵を描いたウッドアート作品

これは絵画ではなく、自ら木の板を一つひとつ切り出し、彩色を施して制作した、わずか15センチメートルほどの多種多様な動物たちの作品群です。かわいらしい印象ながら、鱗や毛の一本一本まで驚くほど丁寧に描かれ、生き生きとした生命感に満ちています。見れば見るほど、生きものへの敬意と深い愛情が伝わってくる作品です

 

見てみたい世界を描く――静かで強い願いが画面に宿る

 

松本さんが描くのは、決して現実には存在しない。けれど、誰もが「こうだったらいいな」と思うような風景です。

 

「以前は寓意的に人間社会を描いていたんですが、最近、寓意ではなく、“自分が見てみたいものや、自分が見てみたい世界”を描いているということに気づきました」

 

現在描いている作品では、虎が柱を運び、カバが石を積み、フクロウが知恵を語り、動物たちが耳を傾けています。争いのない、穏やかで建設的な世界が広がっています。大きさも能力も異なる動物たち。それぞれの特性を活かして共に生きる姿は、多様性の尊さを伝えてくれます。

 

制作中の作品の画像

めったに見ることのできない、今まさに制作中の作品です。画面上部には、これから描かれる動物たちの位置が白い絵の具で軽く示されているのが見られます。崩れたアクロポリスを思わせる街を、動物たちがそれぞれの持てる力を発揮し再建していく。そんな物語を紡ぐこの作品の完成が今からとても楽しみです

 

「これまで多様性を意識していたわけではありませんが、たくさんの動物を描くうちに、自分は多様性を描いているのだと気づきました。綺麗ごとだっていいと思うんです。だって絵なんだから。自分の中にある“こうあってほしい世界”を、動物たちの姿を借りて描き続けたいと思います」

 

表現や技法においても、松本さんならではの探求が光ります。アクリル絵の具と墨を組み合わせ、西洋と東洋、古典と現代の描写法を融合させるなど、常に新しい表現の可能性に挑んでいます。動物たちの形の美しさや動きがリアルに感じられるのは、自ら集めたフィギュアをもとに、立体的な感覚を平面上に落とし込むテクニックがあるからです。

 

「立体物を見ながら描くと、“これはあり得るな”というポーズが見えてきます。描く世界はファンタジーでも、擬人化しすぎないリアルな動物らしさにはこだわっています。描いているうちに動物たちのキャラクターやポーズが浮かんできて、それぞれの個性が生かされる世界を動物たちの関係性で描いていきたいと思うんです」

 

作品制作の参考にしている動物のフィギュア

アトリエには所狭しと、数多くの動物のフィギュアが並んでいます。それらを見ながら、動物のリアルな動きやフォルムのイメージを作り上げていくと言います。この撮影でも、松本さんはフィギュアに話しかけるように、一匹一匹の動きやカラーバランスを考慮しながら世界を作っていました

 

作品には水の流れも頻繁に登場します。水は生き物の原点であり、恵みであり、ときに脅威でもあります。その両義性も含めて、水は「描きたくなるモチーフ」なのだそうです。松本さんは、最近心を動かされた映画に『FLOW』(ギンツ・ジルバロディス監督、ファインフィルムズ配給、2024年制作、ラトビア・フランス・ベルギー合作映画)を挙げます。世界が大洪水に見舞われ街が消えていく中、一匹の猫が動物たちと旅立つセリフのないアニメーション映画です。「言葉がないぶん、動物たちの表情や動きで物語が進んでいきますが、さまざまな動物が知恵を出し合い助け合うという内容は、私の作品の世界観にもすごく近いと感じました」と話します。

 

松本さんの1日は、朝6時半の愛猫との遊びから始まります。日課の散歩で、虫や魚を探し、ジョウビタキの鳴き声や羽色を通じて季節の移ろいを感じるそうです。『もののけ姫』のような、自然と命が共存する世界へ憧れを抱き、泉区の四季を肌で感じながら、見たことのない世界を描き続けています。

 

新橋天神の森公園を案内する松本さん

日課の散歩で必ず訪れる新橋天神の森公園。木々に囲まれた静かな園内では、さまざまな野鳥に出会えます。自然の息づかいを身近に感じられる、心安らぐ隠れた名所です。普段はシャイな松本さんも、野鳥の話になると饒舌になります

 

インタビューを終えて

 

私にとって、松本さんの絵画を初めて目にしたときの驚きは、松本さんが語るカワセミとの出会いに似ています。見た瞬間、心の奥深くが揺れるような感覚を覚えました。松本さんの絵画は、平和で温かい作品である一方で、じっくりと観察していくと、さまざまな「対立の調停」が見えてきます。科学と芸術、伝統と革新、人間と自然——分断されがちな概念を、動物たちの無垢な眼差しが調和の世界へと導いてくれます。それがなんとも美しい。その世界観に、皆様も直接触れ、体験していただきたいと思います。

 

##Information

松本亮平個展

会期:2026年2月24日(火)〜3月2日(月)

会場:横浜そごう6階美術画廊

作品数:25点

 

【松本亮平と動物を描く展】
会期:2025年11月6日(木)~11月24日(月) 10:00-18:00
※17日(月),18日(火)は休業
※15日(土)、23日(日)午後は音楽会開催のため一般入場不可
会場:自家焙煎珈琲店 陽のあたる道
神奈川県横浜市旭区鶴峰2丁目62-20

※相鉄線鶴ケ峰駅南口から徒歩 2分

 

ワークショップ
【好きな動物を描こう‼︎】
会場:レンタルスペース FLAT HILL 横浜市旭区鶴ヶ峰2-62-20 陽のあたる道2階
日時:2025年11月22日(土)10時から 12時
受講料:1,500円
持ち物:汚れても良い服装。 描きたい動物の写真などがある方はお持ちください。
申込先:陽のあたる道 045-744-7017

 

松本亮平さんInstagram

https://www.instagram.com/r.matsumoto60

 

松本亮平(まつもとりょうへい)

1988年横浜市泉区生まれ、2013年早稲田大学大学院先進理工学部電気・情報生命工学科修了。2016年世界絵画大賞展遠藤彰子賞、2019年第54回昭和会展にて最高賞である昭和賞を受賞。個展やグループ展を中心に、日本国内だけではなく、フランスや韓国、マレーシアなど国外のアートフェアにも出品している。

 

##ライタークレジット:

文=澤田章江 写真=文花

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