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地域と育む、地域が生きる ~いずみ野小学校の食農教育45年~【前編】

 

開校以来40年以上にわたり、大都市では珍しい食農教育を進めている「いずみ野小学校」。地元農家やプロの料理人、地域のボランティアの方々などの支援のもと、1年を通した食育・農業生産活動を全学年で行っています。今回は、伝統あるいずみ野小学校の生産活動を核に、いずみ野地域の地産地消の取組を前編と後編に分けてお届けします。

前編では、いずみ野小学校と地域のつながり、地産地消や食育の活動が活発に行われている背景をご紹介します。(後編はこちら)

 

田植え中の4~6年生

 

 

地域特性を生かした学校づくり

 

いずみ野小学校のあるまちは、豊かな農地や野山、農産物直売所を抱える生業農業集落「三家(さんや)地区」に隣接しています。1976年のいずみ野駅開業に合わせ新興団地が開発され、1978年にまちの発展とともにいずみ野小学校が開校。農業が身近にある地域特性を踏まえ、校庭内の花壇で農業生産活動の授業を開始しました。翌年には、そんな学校の思いに共感した農家の横山義一さんなどが「おらが町、おらが学校」の思いで初代校長に働きかけ、田んぼや畑を提供。小学校は実際の田畑を用いて、農業生産活動授業を全学年で実施するようになったのです。それから現在に至るまで、1年を通じて農家が指導・支援し、1〜3年生は芋作り、4〜6年生は稲作に取り組んでいます。

 

44年間、学校に田んぼを提供し、子どもたちの生産活動を支えてきた横山義一さん。
令和4年末の収穫祭にて。

 

自分たちで作ったものを自分たちで食べる。「学び隊」の活動

 

いずみ野小の食農教育の一つに「野菜から学び隊」(以降、「学び隊」)という活動があります。4年生から6年生の有志が参加し、週2回、朝から農家の横山正美さんが所有する学校近くの畑で植付から収穫まで、生産活動を行っています。

「子どもたちに食農を学んでほしい」という強い思いを持っていた横山正美さんは、学び隊開始当時のいずみ野小学校の副校長先生や栄養教員らの気持ちに応え、学び隊に自身の畑を提供し、長年、活動をサポートしてきました。

 

自分たちで作った野菜などを持ち帰り、自宅で食すのはもちろん、学校給食に採用されることもあります。年に一度プロの料理人が地元農畜産物を使用して給食を提供する「スーパー給食」(詳しくは後編で)でも「学び隊」が生産した野菜が登場しています。

 

まち全体で支える食農教育

 

学校全体の農生産活動や「学び隊」の活動は、学校はもちろん、地域の農家や保護者、卒業生など、多くのボランティアによって成り立っています。

 

2000年には、当時のPTA会長の音頭で地域住民、保護者を中心に結成された学校支援ボランティア団体「いずみ野サポーターズ(おやじの会)」が誕生。2010年には教育水準の向上を目指す教育改革モデル校として「パイオニアスクールよこはま(PSY)」に指定され、これを機に、学校運営協議会と連携しながら地域と学校の架け橋となる「学校・地域コーディネーター」を導入しました。そして、PSY(のちにPSI)をはじめとする複数のボランティアグループを一つにまとめ、学校・地域コーディネーターを中心に、全職員が関わる持続可能な「MSI(Multi Support IZUMINO)」が令和3年度に発足しました。

 

 

「次は私たちも」。次世代につながる生産活動

ボランティアの原岡あずささん(学校・地域コーディネーター・いずみ野サポーターズ「田んぼでGO」/写真左)と石井翔大さん(学校・地域コーディネーター・生産活動担当/写真右)

 

 

現在の学校・地域コーディネーターや地域農家等のボランティアのなかには、いずみ野小学校の卒業生も多くいます。子どものときに田んぼの授業を経験した卒業生が保護者世代になり、地域の中心となって活躍しているのです。

 

学校・地域コーディネーターであり、生産活動担当である石井翔大さんも、卒業生のひとり。

「実際に子どものときに楽しんできたものを、次の世代にどう伝えられるか。大変だと言われますけど、僕自身も楽しみながらやっています」

 

石井さんは、主に農家の横山義一さんと学校をつなぐサポートをしています

 

石井さんがこの活動を支援するようになったきっかけは、4〜6年生が取り組む稲作を長年支えている農家の横山義一さんから「もう一人では支援を続けられない」という話を受けたことがきっかけです。

「いずみ野サポーターズのなかの保護者たちが中心となって、『田んぼでGO』という田んぼの維持管理など、ご高齢になった横山義一さんをお手伝いする活動が開始されたんです。そこで、僕も何かできないかと思い、実動的な部分をサポートするようになりました。農業に少し携わっていた経験を生かし、いろいろな人にアドバイスをいただきながら、田んぼを耕したり肥料の設計や日程調整をしたりしています」

 

「この地域は、大人たちの子どもに対する気持ちがすごく熱いんです」と話す原岡あずささんは、卒業生三人のお子さんの保護者です。今まで子どもたちがお世話になってきた恩返しがしたいという思いから、学校・地域コーディネーターといずみ野サポーターズ「田んぼでGO」のメンバーとして生産活動の支援をしています。

「一保護者だった頃、正直最初は授業で経験する芋づくりや稲作などの意義を理解していなくて。役員や保健委員、地区委員、PTA会長などを務めさせていただくうちに、こんなにもたくさんの地域の方が関わっていて、すごく貴重なことをさせてもらっていたんだということに気がつきました」

 

石井さんも、「そうだね。この歳になって気がついた」と話します。

「小学生のとき、義一さんが僕たちに農作業体験授業の大切さなどを話してくれていたのは覚えているけれど、当時はよく分かっていなかった。やっと、あのときたくさんのサポートをしてくださっていたんだと気がつきました。今の子どもたちにも、大人になって『あれは大事な経験だったんだな』と思ってもらえるように、支援活動を続けるのはもちろん、子どもたちの問いかけには全力でこたえていきたいです」

 

 

支援活動を10年以上続けているお二人。自分たちがつくったものがたくさん収穫できて、食べてみると「おいしい!」とうれしそうに話したり、夏休み中に田んぼを見にきたりする子どもたちの姿を目にすることがあります。何よりもそういった子どもたちの笑顔が原動力になっています。

 

「私たち自身も、稲のお花を見たり、香りを嗅ぐことができたりといった、初めての体験や発見があり、楽しくやっています」と原岡さん。

石井さんは、「継続するために、まだまだ課題がありますが、この伝統をつないでいきたい。そして、“いずみ野米”みたいな、子どもたちがつくった農産物で地域の特産ができたらいいなと」と今後の展望についても話してくれました。

 

 

 

スーパーに並ぶ野菜がすべてではない。

 

リタイア後、趣味で畑を始めた中川修三さんも地域ボランティアの一人です。青少年指導員の仲間であった農家の横山正美さんから、「学び隊」のボランティアに誘われ、平成17年に「学び隊」が発足した当初から子どもたちの生産活動を指導しています。

 

「人に教える以上、自分も経験して、失敗もしておかないとね」と、自身も「学び隊」畑の横で生産活動を継続しています。

 

中川さんは子どもたちに「学び隊」の活動を通して、「学校では学べないことを学んでほしい。伝えていきたい。」と言います。

 

中川修三さん。後ろは「学び隊」が日々活動している正美さんの畑。

 

 

その一つが「食の大切さ」。畑で収穫される野菜の中には、市場に出るとB級品として扱われてしまいそうな、小さなブロッコリーや虫のついた葉物野菜などもあります。子どもたちの中には、それを嫌う子もいたそうです。スーパーに並ぶ多くの野菜は、市場流通用にきれいに整えられたものです。それしか知らない子どもたちにとって、土から生えたリアルな野菜は少し異質なものかもしれません。

 

スーパーに並ぶ野菜がすべてではない。B級品に見えるものだって、誰かが丹精込めて作った同じ食べ物。本来、人間が食す野菜のすそ野はもっと広いはず。「食べ物を大切にする」ことを子どもたちに根気強く伝えていきます。

 

 

 

 

40年以上の歴史を支える農家。これからも伝統を引き継ぐために――――  

 

 

 

いずみ野小の取組に関わる人々も40年の年月で変化し、次の世代に引き継がれていきます。卒業生の横山宜美(よしみ)さんはこれからを引き継ぐ、その一人です。

 

横山宜美さん。後ろの畑でいずみ野小の1~3年生が芋作に取り組みます。

 

 

 

 

横山宜美さんは大学卒業後、サラリーマンとして働いていましたが、26歳のときに脱サラし、父の正美さんと同じ農家になりました。現在はこだわりのブランドトマトの生産に日々勤しんでいます。

 

「学び隊」の指導など、いずみ野小の取組を長年支えてきた父、正美さんも高齢になり、令和4年度から横山宜美さんが芋畑の活動の指導を引き継ぐことになりました。

 

「父を含め今まで多くの人が関わり、いずみ野小の取組は継続されてきました。それを自分で途切れさせてしまうことはとてもできません。また、地域の多くの人が関わり、自分も助けられてきました。その思いが活動のモチベーションになっています。」

 

しかし、仕事としての農業とボランティアとしての生産活動の支援の両立は簡単なものではなかったといいます。「仕事として農業をする以上、全力で突き詰めていきたい。いずみ野小の取組にも関わらないといけないし、関わりたい。気持ちがあっても心の余裕がないと両立は難しいものです。」また、農業の衰退傾向やコロナ禍の中で、若手農家で関われる人は減ってきています。一人ひとりへの負担は大きくなり、自分が元気なうちは見通せますが、その後の取組には不安があります。

 

両立の苦労の中にも子どもたちと関わるようになり、改めて感じたいずみ野地域の良さもありました。「いずみ野の子どもたちは他と比べて野菜や畑への興味関心や知識が深いと思います。農業を生業とする自分としてはうれしかったです。まちを歩いていると子どもたちにお辞儀されます。少し有名人になりました。」と笑います。

 

また、取組に関わるようになり、自身の仕事に対する気持ちの変化もあったと言います。「地域の人がスーパーに並ぶ『横山宜美』と書かれたトマトを好んで買うんです。顔が分かる人のものは信頼感がやっぱり強いですよね。これにより、ちゃんとしたものを作り続けなくはならいないという責任感がより強くなりました。」

 

大都市では、通常できない経験がいずみ野ではできます。しかし、活動の中にもそれぞれの苦労があるということがうかがえました。これからもこの取組が継続していくために、地域・学校・農家などの関係者がwin winな関係であり続けることが重要なのかもしれません

 

後編

 

【参考文献】

「VITAMIN BOOK 横浜産希望のビタミン(市民活動の実践事例と考察)」横浜パトナの会編・著 2018年1月発行から、「食農教育40年が結ぶ、学校を核とする地域創生~いずみ野小学校・農家・地域の共感を軸とする三方よしの次世代後継者育成」大木節裕

 

 

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