ロゴ画像:いずみ くらし

地域の力で伝統文化を伝えていく中田囃子保存会

横浜市では、市域内で継承されている神楽、祭囃子、念仏芸などの無形民俗文化財の保護育成事業を実施しています。無形民俗文化財保護団体の認定・奨励制度があり、民俗芸能の継承、また後継者育成等に熱意のある団体を認定・奨励団体に選定しているのです。令和3年度には、市内の72団体が選定され、泉区では唯一、中田囃子保存会が昭和56年(1981年)から連続して認定団体に選定されています。子どもたちへの指導を行う総務で御霊神社(ごりょうじんじゃ)の氏子総代でもある中嶋孝さんに、新型コロナウイルス感染症防止対策のために中止された祭礼の日(9月26日)にお話を伺いました。

 

2020年9月の奉納の様子(提供:中田囃子保存会)

 

 

祭られている神様はあの歌舞伎で有名な人も

 

例祭の様子

 

中田北3丁目にある御霊神社の祭神は、鎌倉権五郎景政(かまくらごんごろうかげまさ)と日本武尊(やまとたけるのみこと)の二柱です。鎌倉権五郎景政といえば、歌舞伎の演目『暫(しばらく)』で清原武衡(きよはらのたけひら)が、自分の意に従わない人々を家来に命じて斬ろうとするところに、「しばらく」という声とともに登場し、人々の命を助ける、市川團十郎が得意とした「荒事(あらごと)」歌舞伎の名門・成田屋のお家芸であり「歌舞伎十八番」の一つに数えられています。東京オリンピックの開会式でも演じられたので覚えている方も多いと思います。日本武尊は熊襲征討・東国征討を行ったとされる日本古代史上の伝説的英雄ですね。

 

御霊神社は1921年(大正十年)から、中和田地域唯一の「指定村社」となりました。指定村社とは、国家神道時代に入り、国家が神前へお供えする供物代の一部や、弊帛料(へいはくりょう)(御進物料)を負担する地域代表の神社に指定されたという意味だそうです。社有山林は、1909年(明治四十二年)以来、神奈川県の風致保安林に指定されています。楠(くす)や椎(しい)等の照葉樹林(しょうようじゅりん)が保存されており、山林内には、檜(ひのき)や椹(さわら)に混じって、自然に生えた藪(やぶ)ニッケイ、楠、タブ、椎、樫(かし)が育っています。

 

 

神様に喜んでもらう「お囃子」

 

お囃子の語源は、「はやし立て、盛り上げる」こと。神社に「神楽殿」があるのは、そこで雅楽、お神楽、お囃子を演奏奉納し、参詣人などを楽しませるためです。

 

私は愛媛県松山市生まれです。自宅には風呂はなく、家族で道後温泉に行っていました。氏神様は伊佐庭神社で、小学生のころは神輿を担いで町内を練り歩き、終わりには飲み物やおにぎり、ミカンなどをもらって喜んでいた記憶があります。それが私にとっては神社とのご縁の始まりで、その後、伊勢神宮、出雲大社、諏訪大社、三嶋大社、富士山本宮浅間大社、春日大社など全国各地の神社をお参りしてきました。これまではご利益を期待してばかりで、つい最近も新型コロナウイルスの早期収束をお願いしたところです。それで、掲示板にあった「中田囃子、新稽古人募集」のチラシを見てお囃子に興味を持ったので習うことにしたのです。

 

練習場所の神楽殿

 

奉納の出番を待つ子供たち

 

 

コロナ禍で、継承に黄信号

 

中田囃子保存会では、数年に一度定期的に、後継者育成事業が行われています。小学生以上が対象、週2回。楽譜がなく、皆で歌と同じように声を合わせて歌って覚えます。小学校のうちに覚えてしまうと、一度覚えたものは大きくなっても忘れないそうです。

 

祭り囃子は大きく分類すると、笛と太鼓に分かれます。太鼓は写真の通り手作りのパイプを叩いて練習し、笛は太鼓とは別の部屋で練習しています。笛も太鼓も楽譜はなく、口伝で伝えます。「ひょっとこ踊り」に使われるので、「ここは、足を上げるところなんだから、ゆっくりしないと踊れないよね」、「笛さんは呼吸しないといけないのだから、ここは早くしないといけない」などと、他のパートを考えながら太鼓をたたくことを学んでいきます。まさに総合学習です。そのうえ、子どもは、太鼓だけなく、多くの世代の人と交わり、先輩たちに教えてもらったり、憧れたりなどしながら地域文化の中で育っていくのです。

 

取材の1週間後、2021年10月3日に練習が再開されました。一緒に参加する親御さんも

 

ところが、コロナ禍で多くの人が集まるのが難しくなりました。稽古場では笛を鳴らし、大きな声を出してお囃子の文句を覚えるので、飛沫感染のリスクを回避せざるを得ませんでした。中田囃子も2021年はまともに稽古ができたのは1〜2カ月くらいだそうです。

 

神社の例大祭や泉区太鼓・お囃子フェスティバルが中止となり、発表の場が持てないでいます。中嶋さんは「観客の前で披露することが技術向上にもつながる。稽古場での練習だけでは子どもたちも緊張感が薄れてしまう」と不安を述べています。

 

 

人と人のつながりを大切に伝統芸能は伝えられている

 

中田囃子保存会の中嶋孝さん

 

中嶋さんの家には5代ぐらいのお墓があるそうです。だから生粋の中田っ子。お囃子に50年関わってこられました。最初の10年は先輩から丁寧に教えてもらったそうです。

 

「伝統芸能は諸先輩が残してくれたものを、そのまま次世代につなげる義務があると思っています。日本各地の多くのお囃子は後継者がいなくて途絶えています。自分が教えてもらったことを、自分ができるうちに次の世代に教えていく努力が必要です」と中嶋さんは話します。新型コロナウイルスに負けず、ぜひ伝統を伝えていってもらいたいと思います。

 

最近は、中学生は塾が忙しくなって来られなくなったり、小学校高学年生はマーチバンドの全国大会に向けて練習が大変になったりで、少し余裕のある低学年生と高齢の私と2人で習うこともありました。彼女が入ったときは幼稚園生で、体力がもたず、途中で寝始めておんぶされて帰ることもありました。ここでは、睡眠学習も立派に認められた学び方なのです。自分の本当の孫の成長を見守るお爺ちゃんのような気持ちでいます。今は、少し私が前をいっていると思うのですが、きっと抜かれてしまうでしょう。私の目標は彼女と舞台に立つことです。

 

 

##ライタークレジット:
写真・文 = 藤田 耕作(泉区ローカルライター)

 

##Information:
中田囃子保存会
関連ホームページ:泉区の祭りばやし 横浜市泉区
https://www.city.yokohama.lg.jp/izumi/shokai/rekishi/ayumi/imamukashi/2-shoshi/4-bunka/bunsangyo-5.html

 

※このコーナーの記事は、泉区が大好きな「泉区ローカルライター」が、区民の目線で取材し、執筆しています。

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